昭和改元の日 来年は昭和百年  12/25(水)

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「昭和」改元の日(12月25日 記念日)

1926年(大正15年/昭和元年)のこの日、大正天皇が崩御され、皇太子であった裕仁(ひろひと)親王が新天皇に即位された。
これと共に新しい元号「昭和」が制定された。
「昭和」の由来は、中国最古の歴史書『書経』にある百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)という一行から上下一文字ずつ取ったもの

国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。
戦前の旧祝祭日では、大祭日の一つ「大正天皇際」(12月25日)といって大正天皇崩御を祀る日とされていた。
当時、枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「同和」を参考とする最終案が決定した。一方、内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていた。

光文事件について

東京日日新聞(現:毎日新聞)は、早くから「新しい元号は『光文』になるらしい」という情報を得ていたため、政府の公式発表の前に「元号は『光文』に決定」と報じた。しかし、政府は元号を「昭和」と発表したため、この「特ダネ」は「大誤報」となってしまい、編集局主幹の城戸元亮(きど もとすけ)は責任をとって辞任した。
「光文」は新元号の候補の中にあり、「元々『光文』に決定していたものが、新聞で先に報道されてしまったため、政府は『昭和』に急遽変更した」という噂が生まれた。

「改元の日」
「明治」改元の日(1868年9月8日 記念日)明治元年は1/1から。明治6年以降は太陽暦
「大正」改元の日(1912年7月30日 記念日)

「昭和」改元の日(1926年12月25日記念日)昭和64年は1月7日まで
「平成」改元の日(1989年1月8日 記念日)
「令和」改元の日(2019年5月1日 記念日)

今朝の気温は、―3度とは言え先日の気温よりー4度に近かったような冷え込みだった。(実際にー4度だったようです)
愚図愚図せずに朝のルーティンワークをこなし、貯筋体操を済ませれば、空は明るさを増し、朝日が薄雲に反射している。
朝食を済ませ、持参するものを再点検し、時間を見れば若干早いかな? という時間になっている。
ジャージーを羽織り玄関を出る、寒さが身に染みる。今シーズン初めての感覚。徐々に体温低下している。
やっと車の音がして見える。車に乗り込んでも寒い、エンジンも温まっていない。施設の駐車場に留め置いた夜間に、フロントガラスに凍てついた霜をふき取るのに手間取った事。
700mほど走り、次の方のお宅に着く頃に漸く、温風が出てきた。途中からは、お口の体操。

いつも通りに一番乗り、大きな声で挨拶し、到着順に健康観察を行い、淹れて下さったお茶を一口、今朝は所長より年末の挨拶があり、運動開始。
①小生は一番の個別から麻痺側上下肢の関節可動域動作訓練から立ち上がって ②つかまり立ちの要領で爪先立ちの訓練脹脛の筋肉が伸縮に伴って、第二の心臓の役割を果たせそうな、筋肉の良い動きが出て来ているし、先週よりとても、役立つ筋肉、の動きになっている、と褒められ有頂天になる。
自分ははチョイと煽てられれば、すぐその気になって、出来る手摺を直す程度は家内に断り、元に戻せるように一回手直しに挑戦し、トレーニングに役立つようにし、指導を受けた事は忘れないうちに家で一回やって確認するようにする。
終わって、③上履を履きトレッドミルを10分間 速度:2.4km/h 距離 0.41km
④次に持参の筋膜リリースで足裏刺激を行いその後は、⑤集団体操はスツールに腰掛け巧緻性運動、お手玉利用の投擲グループ分けされ、空き缶にいくつ入るか対抗戦、80%成功
⑥そのあとソラーチを休みながら、2セット行い。
⑦負荷マシンは、早く帰る要支援の方のトレーニングが終わるのを待って、いつもの介護のグループがどん尻に控える。寒さによる痛みで、出来る機種だけでも良しとされ負荷マシンは通常通り捻り系マシンもクールダウンで、ちょうどよく結構暑くなっている。
最後のパワーボード・シンクロウェーヴで体を緩めお腹すいたー。
終了の健康観察帰路につく。

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コメント お気軽に、何でもコメントください。

  1. つみき より:

    12/25は改元の日でもあるんですね😚!