モラルの有った頃の初期の鉄道ファン(鐡道オタク) 2/26(水)

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周遊忌(2月26日 記念日)

昭和・平成時代の紀行作家・宮脇俊三(みやわき しゅんぞう)の2003年(平成15年)の忌日。「周遊忌」の名前は、生前に自らつけた戒名「鉄道院周遊俊妙居士」にちなむ。
宮脇俊三について
1926年(大正15年)12月9日に埼玉県川越市で7人きょうだいの三男として生まれる。東京大学文学部西洋史学科を卒業。中央公論社に入り、「中央公論」編集長、同社常務を務める。「世界の歴史」シリーズ、「日本の歴史」シリーズ、「中公新書」などに関わる
鉄道マニアとして知られ、1978年(昭和53年)発表のデビュー作『時刻表2万キロ』で日本ノンフィクション賞を受賞「鉄道に乗る」ことを趣味とする者の存在を世間に認知させた。『時刻表昭和史』で交通図書賞を受賞。『殺意の風景』で泉鏡花文学賞を受賞。
1999年(平成11年)に菊池寛賞を受賞。肺炎により76歳で死去。その他の著作に『最長片道切符の旅』『汽車旅12カ月』『鉄道廃線跡を歩く』シリーズなどがある。鉄道での旅を中心とした作品を数多く発表し、「鉄道紀行」を文学の一ジャンルにしたとも評される
出典:Wikipedia、コトバンク、Amazon

布原のD51と黒い煙の思い出

小生は、小学生のころから、岡山県伯備線の布原のD51型蒸気機関車3重連(3台連なって)牽引のセメント用石灰石満載の下り貨物列車を撮影に母親の実家から、自転車で行っていた。黒い煙の臭いを嗅ぐだけで涙を流して喜んでいた。布原の3重連もやがては、無煙化・合理化の波とともに、DL(ディーゼル機関車)や電化(EL電気機関車)に引き継がれ、現在に至る 親の従弟に鐡道写真家ががいた影響で、宮脇氏の著作物が愛読書になっており勉強もあまりしなかったのかもしれない。最近はムック本等で車体のスペック・スタイル・塗色・走行音に興味が移っている

本日は、言わずもがなの 二・二六事件の日

1936年(昭和11年)のこの日、クーデター未遂事件「二・二六事件」が発生した。
陸軍の皇道派の影響を受けた青年将校が、対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、1483名の下士官兵を率いて「昭和維新」と称して首相官邸等を襲撃した。内大臣・大蔵大臣等が殺害され、永田町一帯が占拠された。
当初、陸軍の首脳部は青年将校たちの行動を容認する態度をとっていたが、海軍が鎮圧を要求し、天皇も同様の立場をとったので、29日に鎮圧を開始した。飛行機から「下士官兵ニ告グ」のビラを撒いて帰順を勧め、「今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰する様にせよ」との投降を呼びかけるラジオ放送を行った。
形勢が不利になったと判断した将校たちは兵を原隊に帰し、2名が自決、残りの者が自首して、その日のうちに鎮定された。事件の首謀者は銃殺刑に処された。事件後しばらくは「不祥事件」「帝都不祥事件」とも呼ばれていた。
2.26被害者のうち、高橋是清首相が襲撃された私邸は、現在都立小金井公園の一角(江戸東京たてもの園)に移転、保存されている
出典:Wikipedia、コトバンク

春は桜 秋は赤白の彼岸花

小金井公園は秋に行くと赤白の彼岸花が綺麗です。
五日市街道の北側にあり武蔵小金井からバスが便利です。また桜のシーズンは花見の人出がとても多く桜は見事です。

起き抜けから暖かく、着替える前に、ルーティンワークを済ませ、食事前になってTシャツに着替える。
ほぼ時間通りの迎えの車に乗り、楽しい一日が始まる。
施設に到着し健康観察の後に、口腔機能の7/8の座学早口言葉を全員で大きな声で唱和、軽く背伸びして、準備体操に変え直ちにリハビリ運動に入る。
小生は①金魚運動の集団体操 (左右対称に横振りを30秒、15秒休み、それを4セット)
②トレッドミル 速度:2.6 時間:10分 歩行距離:0.43km (運動中に暑くなってくる)
③持参の筋膜リリース足裏刺激
④負荷マシントレーニング
⑤ストレッチ系マシンクールダウン
⑥シンクロウエーブ・パワーボードにより、体中心部のリラクゼーションを行い
⑥ソラーチにて、足底関節マッサージ中に
⑦個別マッサージは、本日午前の部、最後に呼ばれ、たっぷりと普段とは違う施術をお願いする。非常に楽になった。
最近新規の御利用者数名が新たに参加され、運動する方の組合わせが若干変更が出ている為に、運動の順も変わっている。

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