栗林中将以下、昭和20年3月27日に玉砕す。ここから敗戦・復興の苦難が始まる 4/5(土)

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小笠原返還記念日(4月5日 記念日)

1968年(昭和43年)のこの日、第二次大戦後アメリカの施政下に置かれていた小笠原諸島を日本に返還する協定が締結された。同年6月26日に協定が発効し、日本に返還された。
小笠原諸島は、東京都特別区の南南東約1000kmの太平洋上にある父島、母島、硫黄島、南鳥島など30余の島々からなる。1593年(天正20年)に小笠原貞頼(おがさわら さだより、生年不詳~1625年)が発見したと言われ、1875年(明治8年)に日本の領有が確立していた。1972年(昭和47年)に一部の島や地域を除き小笠原国立公園として、国立公園に指定された。2011年(平成23年)にはユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。東京都初の世界遺産であり、唯一の自然遺産でもある。
リンク:Wikipediaコトバンク

久しぶりの好天に恵まれ、明日の天気予報も考えると、じっとしているのも勿体無くて、自宅の30㎞圏内を東京環状国道16号線を窓を全開にして車を走らせる。枝道に外れ道端の花を撮ってみた。秋留台公園に足を向けるのも何と無く億劫になり、昼食を摂りに行き付けの店に行く。横田基地内ではF-35に燃料補給中の作業兵の姿が垣間見えた

現在も約1万の日本兵の遺骨が島に残されて

硫黄島の戦いは、1945年2月19日から3月26日まで、太平洋戦争末期に小笠原諸島の硫黄島で日米両軍が激突した戦いです 。アメリカ軍は日本本土爆撃の拠点確保を目的とし、作戦名を「デタッチメント作戦」としました 。一方、日本軍は本土防衛のため、栗林忠道中将の指揮の下、約2万の兵力で徹底抗戦しました。
戦前は平和な島でしたが、戦況悪化により島民は強制疎開させられました。
日本軍は島全体に18キロメートルにも及ぶ地下壕を構築し、圧倒的な米軍の物量に対し激しい抵抗を見せました 。米軍は約7万の兵力を投入し、上陸初日から大きな損害を受けました。
上陸5日後には摺鉢山が占領され星条旗が掲揚されましたが、その後も激しい戦闘が続きました。

日本軍は航空機や戦車、狙撃や肉弾戦などあらゆる手段で応戦しましたが、徐々に追い詰められ、3月26日に組織的な戦闘は終結しました。
この激戦で、日本軍は約2万933名が死亡し、米軍の死傷者数は約2万8686名に達し、戦死者は6821名でした。
硫黄島の占領は米軍の戦略目標達成に貢献し、日本本土空襲を支援しましたが、その代償は大きく、後の沖縄戦や本土上陸作戦への影響を与えました。
現在も約1万の日本兵の遺骨が島に残されており、遺骨収集事業が続けられています。

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