29回目の追悼式典/阪神淡路大震災  1/17(水)

29年前(1995年)の1/17日5時46分、阪神淡路大震災が発生した
6,439名の方々の命が奪われ火災の発生が広範囲にみられた。
長男(当時大学1年)は自己完結できる装備を作り、ただちに年度末試験を休み、新幹線で出発し、2週間程ボランティア活動に参加して帰宅した。

半年後には、私が出張で長田地区に立っていた。
バラック程度の仮住まいで、後片付けの終わらない焼け跡、破砕したままの道路、褶曲して波打っている歩道。
鉄骨5階建ての3階に設置の、5t程度の卒業アルバム等の印刷会社の印刷機械、床に傷もつけず水平移動していた

2024年1月17日は、非常に寒く被災地の寒さは如何許りと案じられる。と思ううちに送迎車の到着、車中は暖か。


咀嚼・会話・唾液腺マッサージなどの講話。

施設に到着、健康観察の後口腔機能についての座学、咀嚼・会話・唾液腺マッサージなどの講話
引き続きリハビリに突入。小生たちは、有酸素運動から開始、集団体操は、座位での上半身を主にした、ストレッチを行い、引き続きソラーチマッサージから個別俯せ姿勢で左広背筋をマッサージの後、下肢のストレッチとマッサージ・バランス・歩行訓練追加のソラーチマッサージ続いて、負荷マシン・軽負荷マシンでクールダウン。最後にシンクロウエーブで空腹になる。雲一つない天気、風も穏やか。
本日は、最も理想的な順番で運動ができた。

👇👇👇 ご意見・質問・激励 お気軽になんでもコメントを 👇👇👇

コメント お気軽に、何でもコメントください。

  1. 中谷 勲 より:

    神戸の震災は、私にとっても辛い思い出です。
    一番上の姉が当時元町に住んでいました。私は当時香港に単身赴任していました。早朝会社の職員から神戸の震災を知らされました。直ぐに元町に住んでいた一番上の姉に電話をかけましたが、何度トライしても掛かりません。数日後、やっと連絡がとれて、家族全員無事を知り、安堵したことを思い出します。
    家族は、住んでいたビルに隣の銀行のビルがもたれかかり、ビル全体が歪み、ビルから出られたのが、その日の夕方になったそうです。ビルの歪みを直して原形復帰に数年かかりました。
    その姉夫婦も今はなく、神戸に行く機会も少なくなりました。